Linuxコミュニティー内の偽情報戦術(FUD)
「FUD」とは「Fear(恐怖)」「Uncertainty(不安)」「Doubt(疑念)」の各頭文字をとった言葉です。根拠のない、あるいは、不当な内容で競合製品や競合相手を貶める行為のことです。
悪い意味で使われる言葉です。
「Linux Mint」の開発リーダーである「Clement Lefebvre」氏が、Linuxコミュニティー内の「FUD」について語っています。
FUDにうんざり
Linux Mintと競合するプロジェクトの開発者やメンテナーそしてコミュニティーが、自身のディストリビューションを宣伝するためLinux Mintを引き合いに出してFUD行為に尽力する様を見る度に心底見下げ果てる。より多くのユーザーを獲得するためにFUD行為に時間や費用を割くことは無駄なことである。
もちろん、プロジェクトは成功させるために多くの支持者が必要である。
しかし最も重要なことは、どうやってユーザーを喜ばせるかということである。
もしあなたが自分のプロジェクトを活発にしたければ、プロジェクトを素晴らしい物にすれば良い。
もしあなたが自分のプロジェクトを宣伝したければ、自分の成果と努力や取り組みを強調すれば良い。
Ubuntuに対するFUD
Linux市場でUbuntuが優勢だった頃、ひっきりなしに巨大な量のFUDを受けていた。しかしその行為は公正を欠いており、愚劣で露骨な行為であった。
そしてLinuxコミュニティー全体を当惑させる行為であった。
その行為は今もなお続いており、我々にとってより悪い方向に向かっている。
何故ならば我々は今、大量のFUDを受けている。
そのFUDのいくつかは、FUDですでに苦しんだプロジェクトと全く同じプロジェクトからきている。
疑念や不当な情報は、人々から尊敬される人物(影響力のある人物)が発した時に、最も信頼される内容となる。
Canonicalが商用のAmazonと連携した機能を実装した時(Amazonレンズのこと)、リチャードストールマンはCanonicalがマルウェアを使用しているとCanonicalを非難した。
その時Ubuntuから離れた人々がどれだけいたのか、あなたには想像することしかできない。
しかし私は直に知っている。
Ubuntuから離れた人々の最初の行き先がLinux Mintだったからだ。
あなたはそんな人々が大量にいたとは思わないかもしれないが、その結果から我々が得た恩恵を見れば、理解できるだろう。
しかしだ。そこには問題がある。
脆弱性を煽る行為
最初に道徳的な観点から言うと、脆弱性を煽る行為にはうんざりさせられる。特にあなたがその脆弱性への攻撃方法を知っていれば、その行為が不公平であることが分かる。
UbuntuのアプリケーションメニューにAmazonが存在していることは不格好であり、そして金を生み出すことだったにも関わらず、 Amazonの存在はUbuntuがユーザーの行為を監視し、ユーザーの個人情報を売却しているという根拠のない非難がCanonicalに対して行われた。
人々が非難をする人たちの話を信用し、その人々がLinux Mintのコミュニティーに参加した時、彼らはただLinux Mintのコミュニティーに行き着いたのではなく、その非難の内容を以ってLinux Mintのコミュニティーに行き着いたのだ。
我々の最初の仕事は、彼らの誤解を解くことである。
未検証の事柄を広げるのは良くない。
それは非難やFUDと同類の行為であり、決して良いものではない。
それがMonoに対してであろうとも、Canonicalに対してであろうとも、そして直近の出来事で言えばSystemdに対してもである。
Linux Mintそのものを気に入ってくれる人々が必要
マルウェアを理由にUbuntuから離れた人々が必要とするのはLinux Mintではない。彼らが必要とするのは、マルウェア抜きのUbuntuである。
何故FUDのせいでUbuntuから離れた人々がその結果としてLinux Mintのコミュニティーに参加することが良いことではないのだろうか?
理由は至って簡潔である。
我々はLinux Mintを気に入った人々を呼び込みたいからである。
我々は、他のディストリビューションが気に入らないからと言う理由でLinux Mintを選択する人々ではなく、Linux Mint自身を率直に気に入ってくれる人々を必要とする。
Linux Mintは彼らが思う「Ubuntuをちゃんとしたもの」ではない。
批評とFUD
批評は革新と改良の源泉であり、我々にとって非常に価値が高いものである。一方FUDは破壊と破滅をもたらすものである。
もしあなたが批評を目にしたら、批判の主軸となっている論拠を突き合わせ、それについて疑問を呈し、批評の内容が妥当な内容なのかどうかを検証して欲しい。
批判の内容は正確だろうか?
先入観のない内容だろうか?
理にかなった内容だろうか?
ピンポイントで指摘されている内容は、改善に繋がる内容だろうか?
見聞きした内容なのか、それとも、分析した結果から導いた内容だろうか?
そもそも批評だろうか、それとも、そもそもFUDだろうか?
私達にとって価値のある内容だろうか、それとも、有害な内容だろうか?
役に立つ内容だろうか、それとも、害をもたらす内容だろうか?
開発チームがLinux Mintの改善に繋がるフィードバックとして受けいられる内容だろうか?
批評は非常に建設的でありそして現実に即しているものであり、知識や技能全体をさらにより良くするものである。
何故ならば我々はアイデアを持ったただの開発者ではなく、あなたが我々に提案した内容を実装したり既存の仕組みの修正も行う開発者だからである。
批評が建設的ではなく非難であれば、それはすべてを破壊する。
Systemdの例
例としてSystemdを取り上げてみよう。我々のLinux Mintコミュニティー内で、最近Monoに対する非難が一段落付き、人々の非難の矛先がSystemdに向けられたようだ。
もしあなたがSystemdに対する意見を持っているのであれば、それは素晴らしいことだ。
しかしその意見が否定的な意見であれば、「なぜ否定的な意見なのか」を自問自答して欲しい。
Systemdについて何か否定的な内容を聞いたからだろうか?
あなたが称賛する人物やあなたが尊敬する称号・肩書・職業を持つ人物がSystemdについて何か否定的な内容を言及したからだろうか?
Systemdに対する意見を自分の言葉で表現でき、あなたの実経験に基づいた内容ならば、疑念や不確実な内容の排除や改善する分野を調査をしているだろうか?
これがFUDと建設的な批評との違いである。
もしユーザーが私のところに来てLinux MintでSystemdの採用をやめて欲しいと尋ねてきたら、私は興味を持ってその話を聞く。
何故ならばそのユーザーは、我々がSystemdを改善できる何かを見つけたのかもしれないし、Systemdの代替となるもっと良い何かを見つけたのかもしれないからだ。
いずれにせよ、そのユーザーは我々に対し価値のある何かを指摘してくれるかもしれないし、我々はLinux Mintをより良いものにできるかもしれない。
しかしだ。
今までにSystemdに対する多くの不満を我々は受け取っているが、残念ながら改善に繋がる役に立つ内容のものは1つも無かった。
Wikimediaの統計
WikipediaのLinux Mintのページは我々が書いたものでもなく、上記で書いたような過ちに満ちているが、そのページの中に以下の記述がある。「2015年6月のWikimedia Traffic Analysis Reportでは、Linux Mintからのアクセスが640万件、一方最も伸びが良いLinuxディストリビューションはUbuntuであり、12億件である」
この内容に反論するのは困難であり、正しい内容なのだろうか?
この内容は間違っている。
あなたがすべきことは、ブラウザーのユーザーエージェントを調べることである。
Linux Mintからブラウザーを起動してユーザーエージェントを調べてみると、そこにはなんと書かれているだろうか?
そう、Linux MintはUbuntuとしてカウントされている。
Firefox 4の時代以来、WikimediaでカウントされるLinux Mintのアクセス数は実際のLinux Mintのアクセス数ではない。
Linux Mint 10以前のLinux Mintを動作させている人々のアクセス数である。
これは完全なFUDである。
ZDNetやArs Technicaは、この数値が実際に使用されているOSに基づく数値であるとしているが、あなたが実際に内容を精査するまで、彼らは専門家であり間違ったことは書かないと思うだろう。
記事を書いた人物や組織がいわゆるエキスパートやジャーナリストであるというだけで、内容を鵜呑みにしてはならないということを意味する。
今やこの偽の真実は、WikipediaやフォーラムそしてあらゆるWebサイトによって伝達され、先ほど書いた有名な大手サイトによって裏打ちされている。
Distrowatchの統計
Distrowatchのメインランキングは、ページヒットランキングである。このランキングは、どれくらいのユーザーがそのディストリビューションを使用しているのかを示す情報ではない。
どれくらいのユーザーがそのディストリビューションの紹介ページをクリックしたかどうかを示すユニークユーザーの数である。
このランキング自体は数年間Linux MintがDistrowatchのランキングでトップにいた事実を示しているが、Linux Mintが幅広く使われているということを意味しない。
Distrowatchを訪れた人が最も興味を持ったディストリビューションがLinux Mintであるということである。
我々は人々にDistrowatchに行き、Linux Mintの紹介ページをクリックするように仕向けていない。
我々は決してそんなことはしていないし、これからもそんなことをするつもりはない。
そんなことをしている人がいないと願っているが、もしあなたがそれをしているなら、言うまでもなくそんなことはやめて欲しい。
Distrowatchのトラフィック統計
またDistrowatchは、トラフィックの統計も取っている。もちろんそこでLinux Mintの文字を見ることはない。
理由はWikimediaの統計と同じく、ブラウザーのユーザーエージェントはUbuntuと全く同じであるためである。
すなわちLinux MintからのアクセスはUbuntuからのアクセスとしてカウントされる。
Ubuntu Code of Conduct
ところで、「Ubuntu」に目を向けてみましょう。「Ubuntu」では「Ubuntu Code of Conduct」という行動規範が明文化されています。
これらの内容は開発者だけでなく、フォーラム等で質問する側も含むUbuntuに関わるすべて人々に適用される内容です。
公の活動や私的な活動、そして公式及び非公式の場面でも要求される内容です。
(日本語版はバージョンが古くなっています。)
「Code of Conduct」の内容を読んで「小学校の道徳の授業かよ」とか、「学校の掲示板に貼られている標語かよ」と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、わざわざこのような内容を明文化しなければならない背景や事情、経緯をおもんばかるのも良いかと思います。